続•野田知佑さんに捧ぐ 

なんかタイトルが仰々しいなぁ

カヌー初体験はカナダのレスブリッジという街で、極寒の2月に街中を流れる川をカナディアンカヌーで下った。🛶

憧れ続けたカヌーだったが、時期が悪かった

風は冷たく、水は刺すように痛く、アルミの船体は半分凍っていた🥶

氷点下にやるもんじゃ無いなぁと言うことは学んだ😂

感動も何も無く、寒かった!!それだけ

その後カナディアンロッキーのレイクルイーズという場所で仕事に就き、スノボーにハマった。 

ポンコツのジープチェロキーを手に入れ、移動は楽になった

5月頃かな?レイクルイーズ

ここでもドタバタがあり、日本と遠距離恋愛してた彼女と別れ、かなり落ち込み、

半ば自棄気味にユーコンへ行こうと思った。

母親にユーコンへ行く旨を伝えたら、

「万が一熊に食べられて死んでも、身分が分かるようにしといてね」と言われた😭

さすが保険レディース地区部長、生命保険の受け取りに抜かりは無いらしい

心配する同僚、仲間達に別れを告げ

日本からNYの短大に留学している同級生に連絡を入れ、別れたこと、ユーコンへ旅立つこと、を伝えたら心配だから遊びに来いと言われた。

ここでユーコンに行ってたら人生は大きく変わっていたと思う。

が、淋しさと懐かしさからポンコジープを走らせ、NYまで大陸横断の旅に出てしまった。

そこでもドタバタはあるのだが、1年後に帰国

アメリカに戻るべく、バイトに明け暮れてると、本の雑誌に【新.放浪記】が紹介されてた。

当然手に入れ、読み始めると、冒頭からガツーンとやられる

【中年になった現在、自分の若い頃を振り返り「放浪」とか「青春彷徨」などと言った美しい言葉をあてはめて、うっとりすることもできるが、あれほど無力で、暗く、惨めな時期はなかろう】※本文抜粋

この時期のはイケイケで生活してたが、当初の目的から大きく外れ、自問自答していた時期でもあった。

今ならあの頃は、と微笑ましく懐かしむことが出来るが、その当時は地獄のような日々でもあったのだ。

バイブルとなる

結局、カヤックを本格的に始めるのは更に10年ほど後になる

海の横のアパートに越して、毎週末シーカヤックで海に出るようになる。

挙句、ツアーガイドのヘルプをし、本格的にカヤック業界に関わるようになった。

業界人になったので、いずれ野田知佑さんとも、お会いする日も近いだろうなどと思っていたが叶わず

西日本をふらふらカヤック積んで旅してる時に、徳島県の日佐和に行き、あーここの川を上流に走れば野田知佑と会えるなあなどと思ったのだが

徳島走ってた頃

何故か気恥ずかしく行かなかった。

最大の後悔である

まあ、ファンですと言って来る奴ほど迷惑な存在は無かろうと思ってた。

【ここは良くも悪くも静岡人気質が出てしまったと思っている🤣】

今度、対談予定のカヤック冒険家、海谷一郎氏はも野田さんを師と仰ぎ、ユーコン川を何度も漕破しご本人とも何度か会ってるらしい

旅してる時に、日佐和まで行ったことを話すと

「行けばよかったのにー」と言われた(君とは違うのだよ!!)

ま、カヤック続けてれば、時期が来ればいずれ何処かで!!と思っていたが、別業界に就職してしまい、すっかりご無沙汰してしまった

10年経ち安定した日々だったが、風の囁きに耳を傾け動き出した矢先に訃報が入った

残念である😭

今の日本のレジャーカヤックという分野を開拓した人である。

酒は呑めないが、焚き火をしながら話を聞きたかったし

「野田さんのお陰でいまだに彷徨ってますよ!!」

と笑いながら言ってやりたかった。

ま、そんな話は雲の上ですればいいか

カヤックフィッシング仲間でも野田さんの影響はかなり大きく

皆、本を一読しているらしい

なので、焚き火を囲んで偲んでみたいと思うのだがどうだろう。

自分の好きな一冊を持ち寄って好きな一文を朗読してもらうのも良いね

文学青年だった野田さんに向けて

さらば兄貴!!

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