IT企業に勤め、仕事柄色んなデバイスに囲まれて暮らしてきた
必要な情報は瞬時に探し出し、暇な時間はニュースや適当な記事を見ては情報を無意識に入れてた
睡眠時間は5時間前後、布団に入っても携帯やiPadを見ては無意味に動画などを見続けた
時間が出来て図書館などで自由に本が読める環境になったが、本が読めない事に気がついた
字が読めない訳ではない、毎日ネットの記事を読み、キンドルで読書などしている
うーん、なぜだ。
あれだけ本が好きでアホほど読書してた時期もあったのに・・・・
作者と対峙してジックリとその世界に没入し物語の擬似体験していたのに
考えてみると、全てに於いて情報が多すぎる事に気がついた
そういえば、以前ゴルフのコーチに聞いた事がある、
ネットで情報を集め過ぎて頭でっかちになってコーチの言う事を聞かない生徒さんがおると😂
言うなれば溢れる情報に溺れて適切な取捨選択が出来なくなってしまうと言うやつだ
趣味の範囲であれば、実生活に影響は少ないと思うが、実生活に影響する分野にて情報過多になると危険だと思う
調べてみたら(笑)情報過多シンドロームなるものらしい

脳がキャパオーバーして情報をうまく引き出せず、認知症と勘違いしたり、ノイローゼになってしまったりする結構危険な状態らしい
睡眠時間が短いのも脳が処理する時間が足りなくなるので良く無いらしい。
き、気をつけよう・・・
スマホを触らない時間を作らないと・・・・
そういえば、ネットのない時代は天気は基本テレビか新聞、もしくは電話での177だった気がする
あとは、実際に空を眺め雲の動きなどで推察していた、肌感覚をもう少し大切にしていたなあ
情報がとても貴重だったから、爺婆の知恵袋はとてもありがたいものだった・・・
インターネットの普及で、今まで知り得なかった情報が簡単に手に入るようになった
例えば大英博物館の目録や展示リストを知ったり、ハーバード大学教授の授業を日本語字幕付きで受けたり出来るのだ。
ネットにさえ繋がれば必要な情報は見つかるという便利さ、爺婆の知恵袋さえネットで見つけてしまう。
引き換えに情報を得る為の努力をしなくなってしまった気がする
カヤックフィッシングを始めた頃、情報がなかったのでポイントを手探りで探した、海底地形図を海上保安庁から取り寄せ、ホームエリアの海底地形から魚の居そうなポイントを探して漕ぎ出したり、エリア近辺の漁師さんや釣り人や地元の人に愛想振り撒いて情報を仕入れたりした😁
そこには、計画+想像力+行動力+交渉力などが必要だった。
今は、ネット検索するとブログや動画がヒットするし、釣り船の釣果情報などが簡単に拾える
なので、ヨソモンが初めてのポイントでも我がモノ顔でやってきて傍若無人な態度を取り、エリアを荒らして他のポイントへ移動していく
以前、フィールド情報はネットに上げないで欲しいとお願いされたことがあり、少し憤慨した事があったが、ある意味正解だったのかもと今にして思う。
コツコツと地元の人に挨拶し、清掃し、差し入れし、お年寄りの長話に付き合ったりして作り上げた関係性を一撃でぶち壊す輩の多いこと・・・・
お陰で禁止エリアが増えてしまった・・・
あ、愚痴っぽくなってしまった
情報過多を防ぐには情報を制限するのが良いのだろうか?
専門家の意見では目的があれば良く、無目的にダラダラと情報を入れてしまう事がイケナイらしい
であれば、生活を見直し、自分が何をした?という自覚出来る時間を増やせば、自ずと無駄な情報過多が防げると思われ。
自身の行動記録をしっかりと日記等に残せば、情報過多を減らせるのでは?と思う次第
まあ、様子見て結果報告を後日アップします。
皆さんも気をつけて〜😁
そういえば駅前で仕事してると、爺婆から道を良く聞かれた、手にスマホを持ちながら、だ!!
調べる労力と聞く労力を天秤にかけると聞いた方が楽なのだな。
情報所得能力の格差は益々広がる・・・