多様性という免罪符

前職の職場で繁盛にこの言葉が使われて、多様性は良い事だ!!という社風であった。

管理職の人達も多様性を重んじている風であり、差別はイケナイ!!とされていた。

が、差別や偏見を持つことも一種の多様性と考えるのであれば、ネオナチやKKKも良しとしなければいけないという事になり、日本に至っては反社とされてる人達にも、それは個性の一つだよねーと言える建前はずなのだが、そうはいかない🤣

ウスぼんやりと社会的な正義や秩序が反映してたりする。

多様性という言葉は優しくて寛大なイメージなのだが、そんな生優しいもんじゃ無いなぁというのがワシの感想。

社内でBLMの問題が話題となり、会社は取り組んでますよー的な話し合いが行われてた。

同時にアジア系の人達が理由無く殴られる事件が多発しても議題に上がらず、犯人の多くがBLMを訴えてた人種なのだが😅と発言すら出来なかったよね

『本気で世の中を変えたいと思う人達は差別や虐待されてる人達なんだよ』とネイティブアメリカの活動家が言っていた。

本気で変えようとすると、変えたく無い人達の反感を買い、暗殺されたりしてしまうのだ。

あれ?

役に立つ話では無いなあ

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